建学の精神
建学の精神は、学園歌の中に込められています
創立者の精神は現在も脈々と受け継がれています。
本学園の建学の精神は、学園歌「身をきたへ 心きたへて 世の中に 立ちてかひある 人と生きなむ」の中に込められています。
「身を鍛え心を鍛えること即心身を鍛錬することは、生をこの世にうけた人間が当然努力せねばならぬ第一の必要条件であります。いかなることをなすにも身体が丈夫に鍛えられておらず、また意思が薄弱であるとか、真面目に努力を続けることが出来ぬとかいうようでは、成功するものではありません。まして世の中に出て何か事業をし出そうとか、人の信用を得ようとか、また家庭の人となって夫を助け子供を立派に育て上げようとかいう場合に、どうしてそれが出来ましょう。」
「自分自身の生きがいをもち、自分の力で世の中の役に立てる女性を育てたい」と願う精神は、この学園歌とともに現在も脈々と受け継がれています。
今後も「自ら彊(つと)めて息(や)まず(自分を鍛えることをやめない)」の精神、生き方を守りつつ、社会の変化に柔軟に対応して、十文字にしかできない女子教育の実現を目指していきます。
- 創立者 十文字こと
創立者 ”十文字こと” について ~教育を受けたいと思う女性が一人でも多く学べる学校を作りたい~
本学園の前身文華高等女学校の創立者十文字ことは、1870(明治3)年、京都府船井郡梅田村の要職を務める父高畑清次郎、母とみの長女として生まれた。
病弱ゆえ、8歳で小学校に入学。 目の不自由な母の代わりに家事も農作業もこなしながら、学ぶ喜び、読書の喜びを知った。「近くに小学校がほしい」「私が先生になって教えよう」。この10代の娘の教育にかける夢が十文字学園建学の始まりとなったのである。
ことの英明と気力を見抜いた小学校の恩師猪子氏豊先生の導きで運命の扉が開く。推薦を受けての猛勉強の末、京都府立高等女学校に進学、1889(明治22)年にはお茶の水女子大学の前身・東京高等師範学校女子部に進んで当世一級の教育を受け、卒業後母校の京都師範学校で教鞭をとるなど、日本の女子教育の最前線に立つのである。
東京の実業家十文字大元との結婚後も、夫を助け、4児の母として家庭を築きつつ、夫の物心両面の支援を得て、東京女子高等師範学校時代の学友である戸野みちゑ、斯波安と共に学校創立の夢実現に乗り出す。当時女性のための教育機関はまだ整備されず、学校が少ないことが社会問題となっていた時期であった。
1922(大正11)年、開校した文華高等女学校では、健康な身体をつくるために自彊術を正課とした。教育者ことの願いは、校歌「身をきたへ心きたへて世の中に立ちてかひある人と生きなむ」に凝縮されている。またひとたび決めたことは困難にぶつかってもやりぬくという「自彊不息」はことの座右の銘でもある。
1929(昭和4)年、スイスで開かれた「第3回世界教育会議」に出席、私学が教育の要を担う欧米の姿を見て女子の私学教育の先頭に立つ決意を固め、翌年には附属幼稚園も開いた。
1935(昭和10)年に65歳で校長となり、翌年には束京・巣鴨で当時の建築技術の粋を集めた校舎建設に着手。次の年には、学校名を十文字高等女学校と改め、新たなスタートを切る。
十文字学園が学校法人に組織変更された1951(昭和26)年に理事長に就任、4年後の1955(昭和30)年5月17日、女子教育の発展を天命とした85歳の生涯を静かに閉じた。